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高田商店の歴史

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昭和7(1932)年 高田商店の誕生。
高田商店を興した初代社長の高田良四郎は、高田駒太郎の四男としてこの世に生を受けました。
高田駒太郎とは、その昔、たった一人で、近永から宇和島への道を切り開いた人物として、今も記念碑の残る人物です。
1番下の息子であった良四郎は、町役場に勤め、穏やかな生活を送っていましたが、ちょうど30歳のとき、村役場の収入役に任命されてしまったのです。
当時の収入役は、その村の年間予算を立て替える程の資力がなければ引き受けることができませんでした。

これからどうやって自活していこうかと悩んでいたちょうどその頃、知り合いの酒蔵の主から、「よしふじ村の酒造があくのでそこで醤油をつくらんか」、と声をかけてもらったことを機に、良四郎は、意を決して公務員から醤油業への転身を決断したのです。

その後、小豆島の醤油屋へ単身修行に入り、ゼロから醤油づくりを学んだ後、昭和7年、高田商店設立へと至りました。

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昭和19(1944)年 戦中の高田商店。
日本が第二次世界大戦へと突入していく中、幸いなことにも、近永周辺は空襲から逃れることができましたが、醤油の原材料を入手することは大変難しい状況が続きました。

例えば、当時の配給では、食塩の代わりに濃縮海水しか手に入りませんでした。そのため、多くの醤油屋は、「どうせ最後は水に戻すのだから、濃縮海水の中に麹をそのまま入れて作った方が手っ取り早い」としていた中、高田商店は、薪を焚き、鉄鍋で濃縮海水の塩を結晶させ、それをさらに地下水で溶くという方法で醤油を作り続けました。

手間をかけた高田商店と他の醤油の味が大きく異なるのは明らかでした。他の醤油には、どうしても「にがり」が残ってしまっていたのです。
少しでも良い原材料で、少しでも美味しいものを造りたい、という良四郎の努力の甲斐あって、戦中、戦後と月日がたつにつれ、次第に高田商店の醤油は評判を呼び、少しずつですが、お客様を増やしていくことができました。

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昭和27(1952)年 近永へ移転。
昭和27年、高田商店は山村から、現在、店舗を構える近永へ拠点を移すことになりました。ちょうどいい運送会社の倉庫が売りに出ていたことに加えて、より住民の多い町に出ることで、さらなるお客さまの拡大を目指したのです。

しかし、当時、宇和島市と北宇和郡には、醤油屋が20軒近くもあり、高田商店は、町に出てきたからといって、すぐにお客さまが増えるわけではありませんでした。

まして、後発だった高田商店の商品を取り扱ってくれる商店もほとんどありませんでした。

高田商店は、来る日も来る日も、一軒、一軒の家々を回り、「ぜひ一度高田商店のお醤油を試してみてください」と直販の道を模索しました。しかし、こうした対面販売が、高田商店とお客さまのつながりを生み、その後も長くご愛用いただける大きな理由の一つとなりました。

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昭和51(1976)年 ゆずとの出会い。
昭和47年、良四郎の長男・茂が後を継ぎ、高田商店の新しい歴史が始まりました。中でも、一番大きな出来事は、ゆずとの出合いでした。

昭和50年頃、茂が四万十川に沿って高知県にも営業に出かけていたある日、「こんな山の中に」という山間に、一面のゆず畑を目にしました。茂が畑の主に声をかけたところ、もともとみかんを作っていたが、どうしても酸っぱいみかんしかできず、ゆずに転換したこと。そして、生産されたゆずは青果として市場に出しているが、傷がついたものは出せないので、全部自分たちで絞って一升瓶で売っているが、それも既に余ってさばけず、ゆず酢を流し捨てているという話しを聞きました。
そして、茂が醤油製造を行っていることを聞くやいなや、畑の主は、「高田さんのとこで、このゆず果汁で何かできんやろうか?」と相談を持ちかけてきたのです。

そして、昭和56年、この偶然の出合いをきっかけに、高田商店の「ぽん酢しょうゆ」が生まれました。翌年、ゆずジュース(現在の「ゆずの里ロイヤル」)も完成。

しかし、これらの新商品がすぐに売れるわけではありませんでした。なぜなら、ゆずぽん酢しょうゆも、ゆずジュースも市場にはまだなく、知らないものは買わない、だから売れない、という状況だったのです。もちろん、流通業者も「売れるようになったら置いてあげます」といった反応。茂は、「売れるようになったらお願いに来ません」と言い、また、家々を回り、お試しいただきながら商品を宣伝・販売していく地道な営業活動を続け、一歩ずつお客さまを広げていきました。

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平成元年(1989)年 物産展へ出展。
平成に入ると、高田商店は順調にお客さまを増やすことができました。それまでの地道な営業活動が実を結ぶと共に、徐々にデパート等で開催される物産展に出店しないかとお声がかかるようになったためです。スーパーなどに商品を置かせてもらっているわけでもなく、大量な広告宣伝を実施できるわけでもない高田商店にとって、試食即売のできる物産展は、新しいお客さまと出会える、ほんとうに有り難い機会でした。そして、近永から愛媛県へ、四国へ、全国へと、高田商店のお客さまは広がっていったのです。

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平成15(2003)年 新店舗完成。
平成15年には、それまでの店舗の横に、新店舗を建設しました。広くなった新店舗は、商品包装などお待ちいただく間もゆったりとおくつろぎいただけるよう、そして、専用の駐車スペースを設けたことにより、マイカーでのお客さまも、店内でゆっくり商品をお選びいただけるようになりました。お近くにお越しの際は、ぜひ一度、高田商店にお立ち寄りいただければ大変嬉しく思っております。

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